平安時代、元永二年(1119年)に鳥羽天皇・侍賢門院璋子の
第一皇子(顕仁親王)として御降誕の、第75代天皇。
和歌・管弦の道に秀れ、王朝文化の発展に大きく寄与された。
百人一首の
「瀬を早み岩にせかるる滝川の
別れても末に逢はむとぞ思う」
は、あまりにも有名。
保元の乱により讃岐国に御配流となり、長寛二年(1164年)に
現地にて崩御された。
「保元物語」「太平記」「雨月物語」などにも天皇をお偲びすることが
できるほか、「詞花和歌集」や西行法師とのかかわりなど、
そのご事績は多彩である。
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