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写真11:ライカゆかりの人々が眠る墓地の区分地図。 それぞれの墓の後に番号をふってあるので参照されたい |
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写真12:エルンスト・ライツ1世
(1843〜1920年)家のお墓〔3〕。 |
■ライカ御三家のお墓まいり
旧エルンスト・ライツ社屋から車で5分ほど東に下ると、エルンスト・ライツ家、オスカー・バルナック、マックス・ベレークら、いわゆるライカ御三家の人々が埋葬された墓地がある。いままで僕の友人でこの墓地を訪ねた人は何人かいるが、御三家すべてのお参りできた人はいなく、ほとんどは、大きなエルンスト・ライツ家のお墓を探し当てるだけで精一杯のようだ。墓地の入口には区分地図【写真11】がある。この地図の番号を目当てに行くと初めてでもたどりつくことができる。ただし、エルンスト・ライツ家のお墓【写真12】は大きく、明るいところに建てられているのでわかりやすいが、オスカー・バルナック【写真13】とマックス・ベレーク【写真14】のお墓は、少し奥まったところに自然石に夫婦の名前が記されているだけなので、簡単には見つからないので、辛抱強く探したほうがいい。そして、うまく見つけたら、お墓の前では軽く黙祷するくらいの敬虔な気持ちで接したい。
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写真13:オスカー・バルナック (1979〜1936年)の墓〔J〕。 |
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写真14:マックス・ベレーク (1886〜1940年)のお墓〔E〕。 |
■ライカカメラ社の工場を見学
ウェッツラーの町から10km程のゾルムスという町にライカカメラ社の本社工場がある【写真15】。このライカカメラ社には、ライカファンならば一度は拝んでみたいライカカメラの変遷を示す「ライカツリー」と35mmカメラの原点である「Ur.ライカ」がある。ライカカメラ社の工場見学は毎週火曜日に一般公開されているので、あらかじめ予約を入れておけば可能だ。
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写真15:ゾルムスのライカカメラ社。 |
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写真16:ライカカメラ社の前はオスカー・バルナック通り。 |
門に入る前に見ると工場前の通りは「オスカー・バルナック通り」【写真16】と命名されている。玄関をくぐると、すぐ左右に中国の将軍像【写真17】が出迎えてくれる。その脇にはRマウントの1600mmF5.6【写真18】が置かれている。かなりの重量のようで、三脚でなく台座の上に鎮座している。聞くところによるとアラブの王子様の特注品で、3本製造し、もう1本はタイのお金持ちが購入した、残りの1本だという。
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写真17:中国の将軍像のレプリカ。 |
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写真18:1600mmF5.6の巨大レンズ |
受付脇で「ライカツリー」【写真19】とご対面。しかしツリーの一番下には本物のUr.ライカは置かれていなく、ダミーモデルが置かれていた。本物は、いつもは銀行の金庫に大事にしまわれているとのこと。突然の訪問だし、過去1984年のドイツ博、2001年に日本カメラ博物館と2回もUr.ライカは日本に来ているので、まあいいかと納得。ライカツリーそのものは大きなガラスケースに入っており、ツリーの全体の寸法が大きく、ライカ1台1台をしっかり見るというより全体を見る感じなので、日本で考えていたより迫力はいまひとつだった。
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写真19:ライカツリー。下から順に育っていく。 |
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写真20:工場内のウインドーで見つけたM型の軍艦部の作業工程の順を示す部品。 M7以降の軍艦部は、真ちゅうのブロックを削りだして作っている。 |
工場内の作業現場は、見学用にきれいにガラス窓で区切られて見学コースが作られている。少し前に工場長が代わって見学の規則も変わったとかで、この時期から作業現場は撮影禁止だと伝えられる。それでも、レンズ設計、治具の工作室、非球面レンズの切削室、マニュアルフォーカスレンズのヘリコイドの摺り合わせなど、興味あるラインを見ることができた【写真20】。最後の工程ではライカM9の距離計を大型の立体チャートで細かく調整しているのが興味深かった。なんでもデジタルカメラは拡大してピントがすぐ分かるので、フィルムのM 型時代よりより距離計精度が高いそうだ。その奥には、X1、S2 の組み立てラインがあるというが、直接自分の目では確認できなかった。
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写真21:ウェッツラー市内を流れる ラーン川の上に架かる石橋。 |
ライカの故郷ウェッツラーとライカカメラ社の工場見学、どちらもライカファンには見逃せない聖地観光スポットだ。今回は車での日帰りであったが、時間が許すならば、ウェッツラーの町に数泊して、じっくりと古い町並み【写真21】を、マイライカを提げてオスカー・バルナックになった気分で撮影してみるのもなかなかだ。町には、瀟洒なカフェやレストランなどもあり、ゆったりとした時が流れている。