これはオリジナルF3.8付きモデル。
次のスタンダードが発売されるまで
何度も改良型が作られています。 |
第1号ローライフレックス
1921年頃からフランケ・ハイデッヶ社が製造していた三眼ステレオカメラ(ハイドスコープ・ローライドスコープ)が大きな変身を遂げて1928年、ローライフレックスオリジナルが発売されます。ローライの第一号小型二眼レフとなったこの姿は後のあらゆる二眼レフのお手本となりました。
ビューレンズ(上)が撮影レンズ(下)より明るいのはローライ二眼レフの特徴ともいえますが、一号機からすでにその仕様は取り入れられています。
このカメラは6×6判で、フィルム送りは裏蓋の赤窓で確認する方式でした。しかし当時のブローニーフィルムには6×6判のマークが無かったため、それ用の細軸のフィルム(6枚撮り)を使わなくてはならなく、これが大変普及度の低いフィルムだったためになかなか実用的とはいえなかったようです。
この問題は次のローライフレックススタンダードの登場までに克服されています。 |
普及率の高い120フィルムの
使用ができるようになりました。 |
ベビーローライ
1931年にはベビーローライと呼ばれる4×4判のローライフレックスが発売さてれています。127フィルム12枚撮りを使用します。
ローライフレックススタンダード
1932年にはローライフレックススタンダ-ドが発売されます。これはベビーローライを6×6判にしたもので、オリジナルでの使用フィルムの問題をクリアしています。また、ローライを象徴するだるま型の(上下レンズの)カバーが付きました。
ローライはこのスタンダードで二眼レフの世界において頂点に立つブランドとして確立します。
フィルム巻き上げのクランクや繰り出しノブ、シャッターレリ-ズなどどこをとってもスタンダードと呼ぶに相応しい作りのカメラです。
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このバージョンちがいで革張りの部分に
金属プレートをはったものが
かの有名な金ぴかコードです。
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ローライコード
翌1933年にはローライコードが発売されます。普及型として製造された二眼レフです。 日本に昭和13年に入荷されたローライフレックスは定価が720円(720円というと当時はおソバが約500杯食べられました)。それと同時に入荷されたローライコードは約半額の380円でした(それでもおソバ250杯食べられます…)。
こうして波にのったフランケ・ハイデッヶ社は、1934年にローライコードI型、1936年にローライコードIa型、1937年にローライフレックス・オートマット6×6、次々と新しい二眼レフを発売していきます。より詳しくローライを調べる>>
これに追従してツァイスイコン、フォクトレンダーなどからも 数多くのすばらしい二眼レフが開発、製造され、そのブームは日本にも大きく影響します。
しかし、後の第二次大戦はこの二眼レフブームにも重い影をもたらすことになります。
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