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魅惑の二眼レフ | 二眼レフとは? |二眼レフの構造|二眼レフの歴史 |二眼レフの数々 | 二眼レフで撮影しました |おすすめ二眼レフ

二眼レフの歴史ー第二次大戦と二眼レフブームの全盛期
波にのっていたドイツの二眼レフメーカー、やれおいつけという日本のカメラメーカーともに第二次大戦での敗戦によって大きなダメージを受けます。
そのダメージを乗り越え、昭和32年頃、日本で2度目の二眼レフブームが巻きおこります。これは生産台数がピークに達した時で40万台近くにのぼりました。
ローライフレックスをはじめとしたドイツカメラが日本でもハバをきかせる中、果敢にも登場した日本製二眼レフが爆発的な二眼レフブームを巻き起こした原因は、その価格にありました。
その中でもブームの火付け役となったリコーフレックスの成功は、戦後の渾沌とした状態から抜け出そうと必死だった他のカメラメーカにも大きなチャンスを与えたのです。


1954年発売のリコーフレックスVII。

リコーフレックスIII
1950年に発売されたリコーフレックスIIIがいわゆる日本製二眼レフブームの火付け役として知られています。
当時、(また麺類ですが)ラーメンが30円で食べれる時代でローライフレックスが約9万円ほどでした。大変高価なものであったことがわかります。そこで登場したリコーフレックスのボディ5800円(のちに6800円となる)という値段は、庶民には大変ありがたいものでした。当然のごとくあっという間に品切れ、いくら作っても間に合わないという嬉し悲しい事態を招いたのでした。あまりに入手困難で、ヤミ市場ではどんどん値が上がっていったともいわれています。
そうなったら他のカメラメーカーが指をくわえて黙って見ているはずがありません。あれよあれよという間に100種をこえる二眼レフが次々と販売されていき、すさまじいブームになっていったのです。


リコーフレックススーパー。
文字盤が特徴です。

リコーフレックススーパー
1956年にアメリカへの輸出用につくられました。
リコーフレックススーパーの詳しい使い方>>
当時生産された二眼レフは、リコーフレックスのコストと競るためにギアかみ合わせによるピント調節を採用したものも多くありました。
リコーはこのほかにも多くの二眼レフを生産してしています。
二眼レフのブームは安い、きれい、壊れにくいの三拍子でここまで大きくなったと考えられますが、いまだに現役で活躍している当時の二眼レフには、フルオートの一眼レフや使い捨てカメラでは味わえない何かがあるのです。


1955年発売のミノルタオートコードです。

ミノルタフレックス
長い間、日本のカメラメーカーはカメラの部品を海外からの輸入に頼っていました。ようやく昭和6〜7年頃から国産化にこぎつけ、その中でも技術レベルが高かったミノルタから1937年、レンズもシャッターもすべて自前の製品でドイツカメラの水準に劣らない日本最初の二眼レフカメラ、ミノルタフレックスI型が発売されました。
この二眼レフの形はツァイスイコンのイコフレックスとローライコードのあいのこのような二眼レフであったといいます。

ミノルタオートコードの詳しい使い方>>


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