さてさて、ライカ一台だけ持って、パリからリスボンへの、まだ旅の途中である。
その前回の続き。
やはり、旅というのはそこに「予想も出来ない事態が勃発」するのが面白い。あ まり飛んでもない事態が起こっては、逆に困るのであるが、そう言えば、10年
ほど前にウイーンの空港を出発した私の搭乗するオーストリア航空機が途中で引 き返して、またウイーン空港に着陸するというという事件があった。
副操縦士サイドのガラスに一面にひびが入ったのだ。
これはアクシデントよりもインシデントというヤツで、ウイーン空港でフロントグラスの交換をして、また飛び立った。
そういうのは、別に急ぐ旅ではないのだから、「旅の不確定原理」としては、む しろ歓迎はしないけど、受け入れられる部分はある。
そういうトラブルよりも、困るのはやはりカメラの故障である。 一昨年の秋、10月にリスボンに到着して、持参のブロニカRF645に220
のフィルムを入れて、町に出て、さて!というので最初の一枚を撮影しようとし たら、巻き上げが壊れてしまった。
こういう事故が一番困る。
地の果て、リスボンではブロニカRF645の修理など引き受けてくれる店など はない。それで、持参した膨大な量のフィルムと一緒に、くだんのブロニカはそ
のまま、日本に持ち帰った。
現代のモダンカメラは便利だけど、いったん、故障すると、もはや素人の手には おえない。その点、ライカは機械式(ただしライカM7は除く)だから、例え、
具合が悪くなっても、だましだまし使えるものである。
それで、今回の旅でも2台のライカの持参(ブラックのライカM2と、1825 年製のライカ1)になったのだけど、そうなると今度は「取り越し苦労」が芽生えてくる。
万一、この2台のライカが壊れた時のバックアップを持っていた方が良いのでは ないか、、、という一種の「ライカノイローゼ」である。
パリに到着してすぐに、ホテルのすぐ近くのカメラ店でライカM3と、ズミクロ ン50ミリを買った。
値段が安かったのだ。そのまま、ウインドウの前を通過するに忍びなかったので、購入したのだけど、これは「ライカが欲しい症候群」なのだ。ただしそういう病気であると自分に言い聞かせるよりも、仕事のカメラのバックアップで、も
う一台ライカを調達したという方が、自己をごまかすことが出来る。
ライカのラインナップが増えて、もう大丈夫!というので、パリからリスボンに 飛んだのだ。そうしたら、リスボンのカメラ店で、今度はライカM2−M(これ
はライカM2の特殊モデルで、ライカモーターが装着可能な200余台ほど生産 されたもの)が、あったので、これも手に入れてしまったのだ。
ここから狂ってくるわけだ。もともと、今回の旅ではすでにライカ3台であるか ら、たかだか3週間の旅の間だに、1週間の1個の割合で、ライカの故障する筈もない。
その場合には、「これは貴重なライカだから、保護する義務がある」と考えるの である。いやはや、人間の欲望はどのようにも理由付けが可能なのだ。
これで都合、ライカが4台!
こうなると、ライカで撮影する写真家ではなく、「ライカのセールスマン」めい てくる。
先日、他界された、世界的なライカ蒐集家、中村健二郎さんは400台近い、世界的なレベルのライカコレクションを持っておられた。
「すべてのライカを使いたいと思うのですが、それでも1日に1台しか使ってやることが出来ません、、、」
中村さんの言葉である。
リスボンの坂の多い町を、登り下りしつつ、買ったばかりのライカM2−Mでスナップしながら、私はその言葉を反芻していた。
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